臨終の戦友を呼ぶ吾の声消すごとく雨降り止まざりき
シッタンの渡河に組たる竹筏の兵なく流るる夢に目覚めぬ
病室の長き廊下を試歩路にして手にも足にも補装具着けて歩む
ビルマ終戦へ帰還して四十年病に耐へし青春を思う
傷痍の吾ワープロ学び苦痛に耐へ一世の終はりに希望を抱きぬ
七十路に旧約聖書の完読を目指して今日は祈りを終へぬ
生きてゆく今日に挑戦する如くワープロのキーボードの音立ててゐる
我等中国の歴史に罪負ふを知りし今日四十年の歳月を経ぬ
平成元年静かに明けぬ戦争と平和に揺れし我の弾丸傷
島田秋夫(赤石秋夫・島田耕作)さんの略歴
大正9年栃木県安蘇郡生まれ。父は日露戦争の乃木大将幕下の生き残りで腕の確かな左官屋の親方だった。徴兵検査で甲種合格、昭和16年2月1日近衛第三連隊に入隊、5月6日神戸港を発ち中国戦線からビルマ戦線を転戦。マラリアに罹患、カロー兵站病院に入院中多発性神経炎の診断で内地後送を命じられ、終戦を台北の陸軍病院で迎えた。昭和21年12月28日博多に復員。多摩全生園に入園。昭和24年1月「アララギ」入会。同じ頃キリスト教に入信。昭和38年から傷痍軍人恩給の増額問題に取り組み13年間休詠。所属なし。『陸の中の島』(1956年)『輪唱』(昭和34年)『開かれた門』(昭和53年)『とちのは』(昭和56年)『青葉の森』(昭和60年)『ハンセン療養所歌人全集』(昭和63年)『シッタンの渡河』(平成元年)